2008年03月19日
ボルツマンの最後
多くの偉業を成し遂げたルートヴィッヒ・エードゥアルト・ボルツマン。
この人の最後どのように閉じたのでしょうか。
ルートヴィッヒ・エードゥアルト・ボルツマン(Ludwig Eduard Boltzmann 1844年2月20日 - 1906年9月5日)はオーストリア ウィーン出身の物理学者、哲学者でウィーン大学教授。統計力学の端緒を開いた功績のほか、電磁気学、熱力学、数学の研究で知られる。
ボルツマンは1844年、ウィーンに生まれた。父は税務官であった。少年時代にはアントン・ブルックナーから、ピアノの手ほどきを受け、生涯にわたりピアノ演奏を好んだ。
1866年にウィーン大学で学位を取得、翌年ヨーゼフ・シュテファンの助手となった。
マクスウェルらに続いて気体分子運動論を研究し、さらに分子の力学的解析から熱力学的な性質を説明する統計力学を創始した。その過程で、1872年にH定理により熱現象の不可逆性(エントロピーの増大)を証明した(L.Boltzmann:Wien Ber. 66,275(1872))。
1877年に発表した論文「熱平衡法則に関する力学的熱理論の第2主法則と確率計算の関係について」(L.Boltzmann:Wien Ber. 76,373(1877))においてボルツマンの関係式、
を導き、エントロピーと系のとりうる状態との関係を明らかにした。上式における比例定数kはボルツマン定数と呼ばれている。
ヨーゼフ・シュテファンが実験的に明らかにした黒体放射が温度の4乗に比例するという法則に、理論的な証明を与えた(1884年,L.Boltzmann:Ann Phys. 22,31,291(1884))。この法則はシュテファン=ボルツマンの法則として知られている。
原子論の立場をとるボルツマンは、実証主義の立場から原子の存在を否定するエルンスト・マッハやヴィルヘルム・オストヴァルトらと対立し、激しい論争を繰り広げた。そのためもあって晩年はうつ病に苦しみ、イタリア フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州にある保養地 ドゥイノで静養中に自殺した。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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